時事

菅直人元総理の福島第一原発ヘリ視察→現地本部長「見苦しかった」当時を振り返る

東日本大震災で地震と津波による電源喪失を起こした東京電力・福島第一原子力発電所。

民主党政権の当時、菅直人元総理大臣が事故の翌日にヘリで現地視察した件について、当時の現地対策本部長だった池田元久元経済産業副大臣は「見苦しかった」と振り返った。

「72時間以内の人命救助が重要」と言われる中で、首相が事故の翌日にヘリで原発を訪れる判断を決意したことは、いまだに日本の黒歴史の一つとして語り継がれている。

「総理を落ち着かせてくれ」 現地本部長が見た福島第一

 東京電力福島第一原発が地震と津波で電源を喪失した翌日、首相は突如、現地を訪れた。混乱を極める中、政府の現地対策本部長として、受け入れ側だった池田元久・元経済産業副大臣(79)は、当時の最高権力者の姿を「見苦しかった」と振り返る。

――2011年3月11日、政府の現地対策本部長として、福島に向かいました。
 「あの日の夕方、東京・霞が関の経産省を副大臣車で出発しました。ところが、道路が混んでいて進まない。それで、市谷の防衛省でヘリコプターに乗り、大滝根山(福島県川内村)にある自衛隊基地に降りました。そこから車で移動し、事故対応の拠点のオフサイトセンター(福島県大熊町)に着いたのは12日午前0時ごろでした」

――施設の状況は。
 「オフサイトセンターは停電していました。隣の県の施設は電気がついたので入ると、当時は副知事だった内堀君(雅雄・現知事)らがいました。当面の一番大きな問題は、(圧力が高まった格納容器の破裂を防ぐため、放射性物質を含む蒸気を外部に放出する)ベントを早くやることなんだという話をしました」
 「電源が復旧したので、(12日午前3時ごろに)オフサイトセンターに入ったら、菅直人首相(当時)が福島第一に来るという話を聞きました。しかし、当時は原発だけではなくて、津波などの影響で行方不明になった人が数多くいました。72時間以内の人命救助が重要と言われるのに、首相が原発に来るべきではないと思いました
引用:https://www.asahi.com/articles/ASND365Y9NCLUGTB019.html?iref=comtop_7_07

池田元久・元経済産業副大臣「見苦しかった」

池田元久氏は朝日新聞の福地慶太郎記者のインタビューに、当時の菅直人元首相を振り返った。「72時間以内の人命救助が重要」と言われる中で福島第一を視察したことは、対応に追われる方々にとって誠に信じられない判断だっただろう。

「僕はものすごく原子力に詳しいんだ」と語ったことで有名な菅直人氏は、事故直後に居ても立っても居られなかったのだろう。あのヘリ視察はまさに菅直人氏の高い知性が発揮された瞬間だった。池田元久氏の「見苦しかった」に全てが詰まっていると言っても過言ではない。

また朝日新聞といえば「吉田調書」の誤報問題がある。「福島第1原発にいた所員の9割(約650人)が吉田昌郎所長の待機命令に反して第2原発へ撤退した」と事実に基づかない報道によって、「所員が逃げた」という印象を世界に発信してしまった。

日本史上に残る偉大な総理大臣として語り継がれる菅直人氏。そして大誤報によって吉田所長や所員たち、さらには日本の名誉を毀損してきた誇り高き朝日新聞。自国を貶める崇高な存在が我が国にいることを、日本国民はしっかり認識すべきだろう。

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